野毛ストーリー

  • 野毛坂マーケット(3) –俠商信用金庫 (大谷一郎)

      昭和二十二年、野毛坂マーケットは順調に発展し、肥後盛造は忙しくなった。 このころの肥後の主な収入源は、「ゴミ銭」だった。露店の大小により、一日一円から二円を徴収した。露店がしまってから若い者が掃除をする、そ

    • Posted 9月 20, 2021
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  • 野毛坂マーケット(2) –夜の野毛の銃声 (大谷一郎)

      昭和二十一年初秋。 野毛坂のてっぺんの方に出店した肥後盛造と光子さんの第一号露店は、野毛復興の悲願を担っていた。光子さんが京都から仕入れたのは、真綿、缶切り、ゲタ。日用料芸品である。何を仕入れてよいのか分か

    • Posted 7月 23, 2021
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  • 野毛坂マーケット(1) –肥後盛造という男 (大谷一郎)

      昭和二十一年夏、焼け跡に国電が復旧した。桜木町駅前では連日、生活を賭けたこぜり合いが続けられていた。 近在から荷物を背負ってきて、駅前で炊き出しをする店が二十軒も並んでいる。商品は野菜クズにいろいろぶち込ん

    • Posted 7月 1, 2021
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  • 調理上の唄(2) (大谷一郎)

      敗戦。 焼けただれた街で、関内のレストラン 「キムラ」のご主人、貴邑富士太郎さんは、遺体 の処理をする明け暮れであった。 そんな中にあっても、富士太郎さんは、心のす みで理想の料理を考えている。焼け跡に座り

    • Posted 8月 12, 2019
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  • 調理場の唄(1) (大谷一郎)

    野毛の桜木町駅寄りに、「キムラ」という洋食店 がある。この辺ではめずらしく、店の前に看板も 出していなければ、ウインドーに値段表もない。 観葉植物が並んだわきに、明るい木製の扉が、中のぬくもりを大切にするように、ぴしりと

    • Posted 8月 6, 2019
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  • 桜木町デパート[1] (大谷一郎)

      「桜木町デパート」。今四十代なかばすぎの人たちは、忘れられない思い出を持っているに違いない。 あの百貨店ではない。二階建ての建物がすべて三坪に仕切られ、百二十コマからなる棟割り長屋式の飲み屋のデパートである

    • Posted 7月 28, 2018
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