野毛ストーリー

  • クジラ横丁の思い出 (大谷一郎)

      高木良雄さん(63)野毛で大衆酒場「いざよい」を経営する。 店のガラス戸を開けると、揚げ物のにおいと、客同士の喧騒が、昔の野毛をほうふつさせる。活気に満ちている。現在の場所になったのは、昭和三十年からだが、

    • Posted 7月 3, 2022
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  • 二等兵物語 (大谷一郎)

      桜木町駅前の「ぴおシティ」の地下にある立ち飲み屋「石松」。野毛にも同じ名前の店があり、ともどもその安直さではやっている。 この飲み屋の前身が、果物屋、だというと、何だかわけがわからなくなるが、その「フルーツ

    • Posted 6月 4, 2022
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  • 野毛坂マーケット(4) –旅館「住よし」(大谷一郎)

      米軍物資の横流しは、第八軍司令部にとって、頭の痛い問題だった。一度にトラック何台という規模だからである。「親分」などと称される人物は、多かれ少なかれ、横流しに関係しているので、ほとんどが警察に引っ張られてい

    • Posted 11月 21, 2021
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  • 野毛坂マーケット(3) –俠商信用金庫 (大谷一郎)

      昭和二十二年、野毛坂マーケットは順調に発展し、肥後盛造は忙しくなった。 このころの肥後の主な収入源は、「ゴミ銭」だった。露店の大小により、一日一円から二円を徴収した。露店がしまってから若い者が掃除をする、そ

    • Posted 9月 20, 2021
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  • 野毛坂マーケット(2) –夜の野毛の銃声 (大谷一郎)

      昭和二十一年初秋。 野毛坂のてっぺんの方に出店した肥後盛造と光子さんの第一号露店は、野毛復興の悲願を担っていた。光子さんが京都から仕入れたのは、真綿、缶切り、ゲタ。日用料芸品である。何を仕入れてよいのか分か

    • Posted 7月 23, 2021
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  • 野毛坂マーケット(1) –肥後盛造という男 (大谷一郎)

      昭和二十一年夏、焼け跡に国電が復旧した。桜木町駅前では連日、生活を賭けたこぜり合いが続けられていた。 近在から荷物を背負ってきて、駅前で炊き出しをする店が二十軒も並んでいる。商品は野菜クズにいろいろぶち込ん

    • Posted 7月 1, 2021
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