天皇陛下に 先に挨拶をさせた男 (中泉吉雄)
ヨッ!ひさしぶり。二人で飲むのは一カ月ぶりかな。オバチャン、ビール、生ね。大で二杯だよ。枝豆もつけてね。暑い時には生にかぎる–。
ヨオー、ところでさ、話を聞いてよ。この前、頭に来たね。三度、トラックに止められたの、あんたのところの新山下の高速の入り口の交差点で二度。一度目は高速入ろうとして。二度目は高速出ようとして。三度目なんかひでえの、大黒で高速入ろうとしたら、交通止め。仕方がないから高速やめて一国へ出ようと思ってさ。橋渡ったよ。そしたらズーッとつながってやんの。オッ、ビールきたね。ゴクゴクゴク、うまー。
それでね、Uターンして、高速空くまで、待ってたよ。何と一時間、一時間だよ、俺も辛抱がいいよ。
しかし、頭に来たね。立て続けに三度だよ。三度。おまわりの説明なし。謝りなし。「ごめんくらい」言ってもいいじゃない、思わない、思うだろ。ゴクゴクゴク。生おかわりね。
うめー!夏には生に限るね。おばちゃん、
そいでさ、次の日に新聞見たら、天ちゃんが横浜へ来たって言うじゃないの。そいでわかったよ。一度二度目は練習。三度目は本ちゃんに当たったわけだ。まったく迷惑な話さ。あんな偉い人は家にじっとしてればいいんだよ。動くと、まわりが迷惑してしょうがないよ。しかしおれも三度もぶち当たるとは。ついてないよ、ゴクゴクゴク。
そいでさ、のんちゃん、近頃おもしろいことあった。
(おれトラッカーのよっちゃん、やつは大手運送会社営業所所長、近所の幼なじみの親友のんちゃん)。
イヤー、僕はね貴重な体験をしましたよ。よっちゃんが今話した天皇陛下のことなんですけど、一カ月前にうちの営業所に警官が二人来て。この前を天皇陛下が通るから、ご協力のほどをよろしくというから、うちも仕事がら警察には何かとやっかいになっていますからね。トラック三十台全部外に出しますよ、と協力しましたよ。
そして当日になって、天皇陛下が五分後に来るというアナウンスがあったから、同僚と二人でおもてで腕組んで話していたら、来たね。これがとってもカッコ良くてね。まず先導車がホンダのアスペンケイド千二百CCのとでかい白パイ二台。その後をコンパーティプルのこれもでかい外車、SPが乗っていたね。何かあったら、これが盾になるんだろうね。頑丈そうな車。その後に、天皇陛下が乗っている古い型のプリンスで、ナンバープレートに菊のご紋章がついた車。あと四台ぐらいと、まわりと後ろにナナハンの白パイがついていましたね。
それでね。貴重な体験とはね。一行の車がうちの前の先の角を右へ曲がろうとして、スピードを落としてゆっくりになった時に、天皇陛下の乗ったプリンスの窓が空いてましてね。その時に天皇陛下と目が合ってね、そうしたら、何と頭を下げて挨拶するじゃないですか。ぱくは偉そうに腕を組んで立っていましたから、あわてて直立不動にし、90度に頭を下げてしまいましたよ。横を見ると同僚も同じように頭を下げていましたよ。あわてましたね。うちの営業所のまわりは倉庫ばかりだから、外に出ている人はまるっきりいなて。営業所の前五十メートルぐらいは、僕たち二人しかいませんでしたからね。二人だけに挨拶されたわけだから、ひじょうにあわてましたよ。
しかし、いい顔してますね。上品で気品があって優しそうな顔してますよ。そして、その奥に日本の二千年の歴史を見たような感じがしましたね。へー、天ちゃんもいいことやるね。のんちゃんより先に頭を下げたとは。気にいったよ。まあ何度も来たけど、許してやろう。ゴクゴクゴク、オバチャン、ビールおかわり。
※天皇、皇后両陛下は、去る七月二日、三日の二日間、地方事情ご視察のため神奈川県庁などを視察されました。これはその時に実際にあった出来事です。
初出『ハマ野毛 二号』
(1992.6 / 野毛地区街づくり会発行)
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