シャッター音にはうんざりだぜ・・・ (森直実)

2023年9月1日

 

近頃、野毛大道芸の人気は凄いものがある。カメラマンの数もまた凄いや。自分もカメラを持つその一人だが、覗くファインダーの中に必ずカメラマンの姿があるな。向こうも狙っているから相討ちだ。モーターでフィルムを巻いているのが多いが、シャッターを切ると巻き戻しレバーが回転するので、相手の写すタイミングが分っちゃう。付けているレンズと切るタイミングで、どう撮っているか、どの程度の腕かがわかってしまう。これで、一番嫌なのは、隣のカメラマンと同時にシャッターを切ったときだ。何回か一致すると、〈オヌシやるな〉と思わず顔を見てしまうよ。シャッターボタンを押してから、実際にシャッターが落ちるのに少し時間のずれがあり、写したいシーンより早めにカメラマンはボタンを押している。被写体が動態の大道芸であるだけにシャッター音が何度か一致するのは、偶然などではない。メーカーに関係なくカメラが違えば、たとえシャッターを同時に押してもシャッタ一音がずれるわけだ。シャッター音が何度か一致したカメラマンは少数だが、その中におばちゃんカメラマン(考えたら自分もいつの間にやら立派なおじさんになっていた)が居たので一寸驚いたことがあった。撮り方も観客に溶け込んでその場の空気をぶち壊していない。しかも自分と同じ長さのレンズなのだ。〈ヤルよなあ。> 同じスタンスのカメラマンが居て、自分としてはうれしいはずだが <チキショウメ、うっかり出来ねえ〉という心境だ。芸人の鼻先にカメラを突き付けて撮りまくっているプロよりよっぽど怖い。<プロに勝っにはプロの物真似をしたのでは、勝てるわけが無い〉ので自分なりの大道芸とのかかわりで撮る方法論を考えてきた。考えてできたスタンスのはずだが、このおばちゃんカメラマンもやっている。こんな筈じゃあない、なんだろうと思った。・・・・参る。しかしその後、又、参る事になる。

 

 

富士松延治太夫の新内流し、尺八僧、おわら風の盆、という渋い夜の大道芸の時だが。報道カメラマンはモーターブンブン、ストロボを目茶目茶に焚きやがる。思ったとおりだ。後で、おわら風の盆の社中に聞くと、ストロボを目の前で焚かれ、目潰くらって見えないのに踊って流すのは、富山でも同様の状態という。何がなんても現場のいい絵を持って帰らなくてはならぬ報道カメラマンはしかたない面もあるが、アマチュアがひど過ぎるよ。<まあ、気にする事はないか。人は人、自分のやり方で行きましょう〉と、予定どおりストロボ無して撮り始める。ここは野毛だ、大概の場所は分かる。ロケハン済の手持ちで写せる明るさの場所で撮り始めると、いやんなっちゃう、ナントあのおばちゃんの登場だ。シャッター音は一致しなかったが、ストロボ無しだよ。ホントやるねえ。うーむ。しかもシャッター音が比較的低いカメラを使っている。こっちのほうが音が低いのを持ってきているぞといったって、それは、腕の問題ではないな。それにしても回りのピカピカ、パシャンジャーというのに耐え切れなくなってくる。これはうんざり負け気分。まことに孤独なる心持ち。写すものは撮って早々と引き揚げるしかない。こういう時は酒も旨くないんだが、今夜は村田家て吞んじゃおう・・・と、潜り込んで居ると、アララ延治太夫が座敷に上がって熱演が始まっちゃった。そうか、ここは太夫の馴染の店だったわい。さっきの落ち込みはどこへやら、当然写真は撮っちゃうよ。これだけ明りあればOK。音の静かなライカはいいね。室内の、新内でも大丈夫とは流石だ。それでもシャッターは三回だけきる事に自主規制。もうすっかりい〜い気分。延治太夫の実によく伸びる声にもうっとりと、聞く余裕もでるというもの。粋なもんだ、いいなあ。この夜カメラを手にした自分も、やっと場に解け込めたかな。

途中で嫌になり現場を逃げ出してしまったが、あのおばちゃんは残ったね。タフじゃないと何にも出来なねえ。優しく、逞しくという事だろうか。負けらません。シロウトが分をわきまえながらも、プロにない撮り方をもっと考えようと思う。プロが真似出来ないスタンスをだ。もしかして、おばちゃんはすごいプロフェショナルかも知れないが、いい写真を撮って下さい。

 

初出『ハマ野毛 二号』
(1992.6 / 野毛地区街づくり会発行)