ヨコハマニュース

2023年11月19日

野毛の一角にある「ヨコハマニュース劇場」を知らない人はいないだろう。特に、現在四十歳から六十歳代の人にとっては、妙になっかしい思い出があるはずだ。

今では、一般の映画館からも消えがちなアメリカ映画会社の社名タイトル入りニュース映画がつきつぎと出てきて、なにやらアメリカ映画をすべて見てしまったような錯覚がしたものだった。MGM、二十世紀フォックス、パラマウント、ムービートーン・・・。それに短編映画一本。ディズニーの作品が多く、当時はまだ珍しいカラー画面でドナルドやグーフィーが活躍していた。

三科千鶴子さん(60)。ニュース劇場の現在の経営者である。昭和二十九年八月二十八日、ニュース劇場を開館したのは、父親の直さんだった。直さんは、五年前に七十八歳で他界してしまったが、この人も野毛を駆け抜けた一人だった。終戦時に四十代という働き盛りであり、体の大きな、人なつこい性格の、ちょっとしたアイデアマンであった。

電気職として二十八歳で独立自営するような努力家。もちろん徴兵されたが、近衛師団付技術兵として、外地へ行くことは免れた。敗戦で野毛に帰って来た。ニュース劇場の場所に住んでいたのだが、家は強制疎開で取り壊され、一家は山梨に疎開していた。バラックを建てて、電気工事「興光社」の看板を上げた。ものすごい速度で復興が行われているので、仕事はいくらでもあった。大きなところでは、昔の野沢屋、横浜宝塚劇場(横宝)など。下職の人も二十人ぐらいは常時働いていた。

そんなとき、血を吐いて倒れた。山梨に連絡がいき、奥さんと娘の千鶴子さんは、横浜へとんで帰ってきた。が、母娘にとって病気より、もっと驚くことがあった。もともと直さんが、金に無頓着なのは知っている。しかし……。戸棚にギッシリと札束がつまっている。それを「刺し身買ってくるよ」「酒買ってくるよ」といって、職人がわしづかみにして出てゆく。直さんは「おお頼むよ」というだけ。みんな気のいい働き者。他人の二倍も三倍も働くから、もうけも二、三倍。が、飲む量も二、三情。「こんなことでは、早晚死んでしまう」。母娘は転業するよう必死に頼んだ。そのころ、台風が来ると「横宝」の地下に水が出ることがあった。直さんは電気室の保全に出かけ、千鶴子さんもついて行った。「そうだ、映画館でもやるか。しかし、この忙しい世の中では長いのはだめだ。ニュース専門がいい」

こうしてニュース劇場は誕生した。時代は少しくだるが、プロレスブームが起こった。しかし、家庭にテレビは珍しい時代。そこでニュース劇場では、力道山の試合があると、映画を一時中断。スクリーンの前にテレビをドンと置いて、プロレス中継をやった。客は大喜び。連日、ものすごい入場者だった。

直さんは祭りの好きな人だった。紫綬褒賞をもらい、市の功労者となり、「港まつり」の仮装行列に陣笠をかぶって市長と並んで歩いた。ニュース劇場の前で、行列の中から手を振った。母が「ほら、おとうさんだよ!」と叫んだ時、千鶴子さんは、顔から火が出るほど恥ずかしかった。昔は海に向かってひらけていた庭も、高い建物が少しばかりジャマをしている。それでも、帆を広げた「日本丸」が目の前に見える。千鶴子さんは、もうひとつ仕事を持っている。「神奈川音楽配給株式会社」代表取締役。まだまだ忙しい。

 

 

野毛ストーリーより