野毛ストーリー
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野毛坂マーケット(4) –旅館「住よし」 米軍物資の横流しは、第八軍司令部にとって、頭の痛い問題だった。一度にトラック何台という規模だからである。「親分」などと称される人物は、多かれ少なかれ、横流しに関係しているので、ほとんどが警察に引っ張られてい
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野毛坂マーケット(3) –俠商信用金庫 昭和二十二年、野毛坂マーケットは順調に発展し、肥後盛造は忙しくなった。 このころの肥後の主な収入源は、「ゴミ銭」だった。露店の大小により、一日一円から二円を徴収した。露店がしまってから若い者が掃除をする、そ
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野毛坂マーケット(2) –夜の野毛の銃声 昭和二十一年初秋。 野毛坂のてっぺんの方に出店した肥後盛造と光子さんの第一号露店は、野毛復興の悲願を担っていた。光子さんが京都から仕入れたのは、真綿、缶切り、ゲタ。日用料芸品である。何を仕入れてよいのか分か
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野毛坂マーケット(1) –肥後盛造という男 昭和二十一年夏、焼け跡に国電が復旧した。桜木町駅前では連日、生活を賭けたこぜり合いが続けられていた。 近在から荷物を背負ってきて、駅前で炊き出しをする店が二十軒も並んでいる。商品は野菜クズにいろいろぶち込ん
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調理上の唄(2) 敗戦。 焼けただれた街で、関内のレストラン 「キムラ」のご主人、貴邑富士太郎さんは、遺体 の処理をする明け暮れであった。 そんな中にあっても、富士太郎さんは、心のす みで理想の料理を考えている。焼け跡に座り
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調理場の唄(1) 野毛の桜木町駅寄りに、「キムラ」という洋食店 がある。この辺ではめずらしく、店の前に看板も 出していなければ、ウインドーに値段表もない。 観葉植物が並んだわきに、明るい木製の扉が、中のぬくもりを大切にするように、ぴしりと
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桜木町デパート[1] 「桜木町デパート」。今四十代なかばすぎの人たちは、忘れられない思い出を持っているに違いない。 あの百貨店ではない。二階建ての建物がすべて三坪に仕切られ、百二十コマからなる棟割り長屋式の飲み屋のデパートである
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桜木町デパート[2] →前回からつづく 昭和三十四年。亀井政江さんは、桜木町デパートの一階中ほどに、三坪のコマを借りて、スナック「M」を出した。 店の内装もこぎれいにできたし、ピンからキリまである店並みでは、まず上の方。しかし、
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桜木町デパート[3] →前回からつづく 桜木町デパートの中ほど、今でいうなら牛井の 吉野家に向かい合うあたりに、不思議な店があっ た。 「安定屋」。屋号からして変わっているが、それ より何より、目を見張るのは、その商売のやり方
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星空の銭湯 (大谷一郎) 昭和二十一年、野毛二丁目に野天風呂があった。 安本静江さん(70)はフトした表紙に、ゴッタ煮のようだったあのころを思ってなんともいえない気持ちになる。 横浜大空襲をのがれて、久保山から帰ってくると、余燼の中
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野毛ちかみちで『のげちかマルシェ』が開催 JR桜木町駅からの連絡通路『野毛ちかみち』で、7月6日(水)から8日(金)まで、様々な食品等がワゴン販売される『のげちかマルシェ』が開催されています。 NPO法人横浜市精神障害者
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「野毛・吉田町 BARホッピングチケット」販売中! 「野毛・吉田町 BARホッピングチケット」販売中! 対象店舗で使える「1,500円×2枚=3,000円」の電子チケットで、ワンドリンクサービスの特典が受けられます! さらに横浜トラベルアスロンキャンペーン内
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『横浜野毛 闇市から大道芸のまちへ』が刊行。本をポケットに入れて野毛の歴史を探ろう! 野毛の戦後の歩みをコンパクト にまとめた『横浜野毛 闇市から大道芸のまちへ』が令 和3年3月、野毛地区街づ くり会から刊行されました。 最近の野毛は相次ぐマンションの建設で新しい住民が増え、レトロな飲み屋街として若い人た
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野毛ちかみちで『のげちかマルシェ』が開催 JR桜木町駅からの連絡通路『野毛ちかみち』で、7月6日(水)から8日(金)まで、様々な食品等がワゴン販売される『のげちかマルシェ』が開催されています。 NPO法人横浜市精神障害者
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野毛まちなかキャンパスの 特別公開講座「吉田新田の歴史」開催のお知らせ 野毛まちなかキャンパスの特別公開講座、「吉田新田の歴史」が、次のとおり開催されます。ふるってご参加ください。 日時:2014年12月22日(月)18:00-19:30 場所:横浜にぎわい座芸能ホール(定員350人) 講師
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街づくり会公式サイト、リニューアルいたしました 街づくり会公式サイトをリニューアルいたしました。 野毛の長い歴史遺産をアーカイブしながら、最新の情報も盛りだくさんにしながら、野毛の盛り上がりに一役買えたらと考えております。 ご意見やご提案などお待ちしております。 &n
- 消えゆくヨコハマの闇の中で (渡辺光次) 老朽化のあまり錆びつき、朽ち果ててはいるが、 威風堂々たるそれらの建物や空間は、魔力を持った生き物のように、 この港町の全盛期時代の記憶とそのエネルギーを静かに物語っていた。 八
- 野毛坂マーケット(4) –旅館「住よし」 米軍物資の横流しは、第八軍司令部にとって、頭の痛い問題だった。一度にトラック何台という規模だからである。「親分」などと称される人物は、多かれ少なかれ、横流しに関係しているので、ほとんどが警察に引っ張られてい