「私の政治の原点は野毛です。 野毛を決して忘れません」 衆議院議員 松本純

2020年11月11日

 

私の畏敬する菅義偉先生が第99代内閣総理大臣に就任されました。野毛地区街づくり会の同じ顧問として、心よりお祝いを申し上げます。 

私は菅先生と共に横浜市議、衆議院議員の道をたどりました。選挙区も菅先生が神奈川二区、私が神奈川一区とお隣同士。同じ神奈川選出議員として、地元のため、国のために邁進してきました。

 

私の政治の原点は野毛です。40年ほど前になりますが、私が地元町内会の役員だったときに桜木町駅の移転問題が起こりました。野正が駅から遠くなることは、野毛の商人にとっては死活問題です。当時、野毛は長い沈滞の中にあったこともあり、先輩たちが街づくり会を立ち上げました。

若手だった私は事務局を引き受りましたが、間もなく東横線桜木町—横浜間の廃線問題が起こりました。街づくり会は街から東横線がなくなっても生き残れるよう横浜市、東急と必死に交渉し、地区振興策を盛り込んだ協定に調印しました。今に続く野毛の街づくりはここから始まりました。

協定の調印式には私も列席しました。そのとき立会人として調印を見届けてくださったのが、建設相・通産相を歴任した故小此木彦三郎先生でした。菅先生は小此木先生の秘書を長く務め、このときにはすでに横浜市議として辣腕をふるわれていました。ここにも深い因縁を感じます。

さて、こうした経験を積む中で、私は街だけでは解決しない多くの問題に直面しました。街に活気を取り戻すためには行政の協力が欠かせない。市議会で野毛の現状を訴えて解決の道を探りたい。そう思うようになって市会議員選挙に立候補しました。

市議として三期務めるうち、今度は野毛のため、横浜のために働くには国会の場に立つことが必要ではないかと考えるようになりました。地元の活性化はもとより、私がライフワークとしている健康・福祉の増進のためには、私の考えを国の政策に反映させなければならないからです。

都市のインフラ整備は国の協力なくしては実現しません。例えば、横浜ベイブリッジは横浜市の構想としてスタートし、国の事業として完成しました。野毛の隣町、北仲地区に新市庁舎が完成しました。新市庁舎と野毛を結ぶ「さくらみらい橋」もできました。ともに国の助成もあって達成された事業です。

皆さまのおかげで、安倍内閣では国務大臣(国家公安委員長など)として入閣することができました。私は野毛のために働くことが横浜の発展につながる、横浜のための努力が国の繁栄に寄与する、と信じています。私は生まれ育ったのをはじめ、すべての出発点である野毛を決して忘れません。これからも国、横浜、野毛のために働きます。皆さんと一緒に新時代の野毛、真に豊かな暮らしと生業を築き上げてまいります。

衆議院議員 松本 純