思いだしたF86 (叶屋主人 中谷浩)

2016年1月18日

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俺は京都の料理屋で生まれたんだ。育ち盛りが終戦直後でハマの奴からは「当時は食料難だ、ヒモジイ青春だったな」なんて言われるけど京都は焼夷弾も落ちちゃいないしそれになんたって料理屋の息子だ、タラフク食ってたよ。

学校は同志社で中学からズットだ。最後は水泳大学同志社部の生活だったな。古橋、橋爪もよく来たよ。東京の奴らは飯をろくに食わないでやたら泳いで、それで世界記録を出しちゃうんだから今でも不思議に思っているんだ。年中腹を減らしていて、俺京都に来た時は目一杯食わして上げたんだ。だから奴らは俺の子分みたいなもんだった。

就職は厚生省だった。半年ぐらい勉強したら受かっちゃった。ビックリしたな「こんなことなら高校の時一年ミッチリ勉強して東大に行けばよかった」と、真剣に反省したよ。

職場は花のお江戸だ、でも遊びはなんたって京都だ。月給もらう度に飛んでかえってきたよ。そんなことしてたらあっちこっちにボロボロ子供ができちゃって「どうしてくれるんだ、どうしてくれるんだ」と追いかけ回されて「どこかに逃げ込まなきゃ」と思っていた時、具合良く航空自衛隊が戦闘機乗りを募集していたので渡り船だった。

独りでF86に乗った時は感激したぜ。誰もおっかけてこなくて、それに北海道の千歳から九州の築城まで一時間ちょいなんだ、アッチコッチ全国よく遊びに行ったもんさ。

博多に遊びに行った時だ。エンジンの調子が悪くなって、下を見ると田んぼさ。「こんな所に落っことしたら何言われるかわからない」と思ったから必死で海までF86を棄てに行ったよ。命からがら帰ってきたら査問委員会にかけられて随分意地悪な質問をされて、頭にきてやめちゃったよ。その時オフクロが野毛で″紳士の墓場叶屋″っていう飲み屋をやっていたんで「おれ様は二代目だ」って押しかけて来たんだ。

野毛のお客さんはケチでスケベで変なのが多いよ。それから飲み屋のオヤジもヒガミっぽくてイイカゲンでもっと変でおれにピッタリだったし。永くいるつもりはなかったんだけど、なんだか居ついちゃってもう三十年になるな。四年前オフクロ、二年前オヤジが死んじゃった。それより店の立て付けがすっかりガタがきて、団体客が入るとヒヤヒヤしなきやいけなくなっちゃったんで、銭は無いんだけど仕方がないから今ビルに建て替えてるんだ。借金が四億五千万、どうしようかってズート悩んでいたんだけど昨夜久しぶりにF86の夢を見て、一機五十億を棄てたことを思い出し「自宅を売っ払って借金を減らしちまえばドーツてことない」つて気が付いたんで、さっさと売りに出しちやった。目一杯ふっかけたんでソソッカシイのが出てきて言い値で買ってくれないかな。

初出:ハマ野毛創刊号(92.3.10)

Photo by Airwolfhound