大岡川漂泊記(1) -黄金町の朝に粉雪が舞った (田村行雄)
黄金町のガード下がなくなるという話を聞いた。
僕がお世話になった町でもある。
そのガード下がなくなるとは実にけしからん話である。
世の中いったいどうなっているんだ。
感謝こそすれ、社会悪として非難されるところではないはずだ。
思い返せば二十一年前、高校三年生の時であった。今でもあの日の事は忘れない。少しキザで考え方が進歩的な親友(こいつは八年前、船舶会社のニューヨーク支社に勤めていたんだが、向こうで交通事故で死んでしまったけれども)と冬休みに入った十二月二十五日にガード下に遊びに行ったんだ。そう言えばこの親友は永井荷風と吉行淳之介ばかり読んでいた。二人で「この小使くさい町が横浜っていう町だな」と話したこともあった。
まあ、それはそれでいいとして、初めて行ったガード下は胸がワクワクすると同時に妙な不安もあった。それは果してうまくいくかなという不安だったんだな。本牧の「シャトー」つていう茶店で八時頃までコーヒーを飲んで、「行ってみようか」「お前、お金あるか」「二人であわせて二万五千円はあるな」「行こうか」なんて話をしてテクテクと歩いて行ったんだ。
元町のトンネルを抜けて、花園橋から平和球場の前を通って、関内、福富町を通過して大岡川沿いにガード下に入っていった。ガード下の小さな店からキレイなお姉さんたちが口元に微笑みをたたえて我々を見ていた。僕は恥ずかしくて下ばかりを向いていたけれど、親友は度胸があったな。「お兄さんたち遊んでいかない」って言われた時、僕はちびりそうでその場を逃げたい気持ちだったけど、アイツは「ショートでいくら」とか「泊まりはいくら」とか話してたっけ。で、僕が優柔不断だったのかもしれないけど、二人であのガード下の小路を何往復したんだろう。時間にしては二時間位あっちいったりこっちいたりしてウロウロしていた。そのうち歩き疲れて、外もえらく寒かったものだから近くの茶店に入ったんだ。
そして、僕は度胸をすえて決心した。顔がなんとなく蒼白い感じがした。確か十一時は過ぎていたと思う。それで二人でその店を出て、またガード下に入っていったんだ。そしたらお姉さんたちがコタツに入ってミカンを食べながらテレビを見ている店のところを歩いていたんだ。それでお女将さんのような人が、格子のガラスをガラガラとあけて、「お兄さんたち、さっきからずっとウロウロして、どうすんのよ」って。「どうすんのよ」つて言われて、なんかおこられているような気持ちになって下を向いて「それじゃすいません。お願いします」つて答えたっけ。そしたら「泊りでこれでいいわよ」つて人差指を一本立てていたな。ところがその指の意味がよくわからなくて、「それはなんですか」つて聞いたら、一万円のことなんだって教えてくれたっけ。高校生っていうんでなんやら学割だとかいう話なんだ。
そして店っていうか旅館のような二階に案内されて、フスマを一つはさんで親友と僕は別々の部屋に入った。部屋は六畳ぐらいの広さなんだけど暖房がついてなくシーンと冷えきっていた。大きいフトンが一つ敷いてあって、胸がワクワクするよりも寒さと緊張でカタカタ震えて突立っていた。変なあえぎ声のような男の声がまわりから聞こえてくるような感じがした。今考えるとあれは泊まっているどこかの親父さんのイビキだったと思う。ほんのまもなくすると隣の親友の部屋に女の人が来たようだった。手際よく事を進めているのが、会話とフスマを通して聞こえてくる音からわかった。それで二階を昇ってくる別の音が聞こえてきて、僕の部屋のフスマ戸がスーッとあいたんだ。そしたら「お兄ちゃん、そこでなにしてるの」って。考えてみたら、薄暗い部屋の中でその間カタカタ震えて立ってただけなんだよね。思わず「すいません」つて謝っちゃったもんな。それで「おー寒い、寒い」ってお姉さんが言いながら電気ストーブをつけてくれた。 。
お姉さんはいつもは船橋のほうで働いているんだって。年は三十の後半位かな。「服を脱いで早くフトンに入りなさい」つていいながら、お姉さんはさっさとセーター一枚着てフトンにもぐりこんだ。僕も慌てて半そでシャツ一枚でフトンにもぐりこんだ。フトンが冷たくて思わずブルッと体が震えたよ。そしたら、お姉さんが体をさすって暖かくしてくれたっけ。「お兄ちゃん初めて?」「ハァ」「お兄ちゃんきれいな体だからつけなくていいわよ」「ハイ」つて言われるままだったな。それで生まれて初めての体験はなすがままに任せっきりで、言われた通りにやってたんだけどうまくいかなかった。僕は目の前が真暗になって泣きたいような悲しい気持ちだった。
「お兄ちゃん今日泊りなの?」「ハイ」「それじゃ、後でまた来てあげる。大丈夫よ、元気出して」「他のお客さんもあるから、三時か四時頃来るわ。それまで寝てなさい。あとで起こしてあげるから」って言って服を着てお姉さんは部屋から出て行ったわけ。やさしい言葉だった。薄暗い部屋の中で、じーっと天井を見ていた。涙がでてきそうだった。涙こらえながらそのうちすーっと寝ちゃった。
熟睡してたら、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」つて言われ、起こされた。「元気出た?」つていいながらフトンに入ってきて、「あーあったかい。緊張しなくていいのよ。大丈夫よ」っていわれた。それで僕の息子もだんだんと元気が出てきた。なんとか一人前になんなくちゃと思って一所懸命がんばって最後終了した時は、全身の力が抜けちゃった。しばらくお姉さんの体の上で休んでいた。そしたら、お姉さんが耳元で「よかったね、うまくいったじゃない」。僕は素直に「どうもありがとうございました」とお礼を言ったっけ。
それでティッシュで後処理したあと、お姉さんは服を着て「ゆっくり寝ていきなさい。よかったね」って言って部屋をあとにした。もう明け方近くだなと思った。カタカタという始発の京急の電車の音と振動がそれを感じさせていた。千葉のお姉さんありがとうって心で感謝しながら、体にはここちよい疲れが残っていた。不安と緊張が解け、親友が起こしにくるまでぐっすり寝こんでしまった。
二人で部屋を出ると、外は粉雪がちらついている朝であった。階下のコタツとテレビのある部屋にはお女将さんが一人でいた。
売春、売春婦と世の中では批判する人がいるけれど、僕にとっては我が人生の師であり人間としても尊敬する人たちです。それなのに黄金町の駅前に立てかけてあるあの看板はなんだ! 偽善的な言葉、あれこそなくすべきだ!でも形式ときれいごとを言っている人たちにはきっとわからないだろうな。
とにかく横浜のふるさと、ガーゼ下を残して、お願い。黄金町がだめなら野毛地区に永久保存版で作って。
初出:ハマ野毛創刊号(92.3.10)
Photo by hoge asdf
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