野毛に生きる (自由人 中谷 豊)
俺は北海道で生まれて。漁師の伜だよ。冷たい海の仕事が嫌で、十九の時家を飛び出して暖かい所に行こうと思って汽車に乗って出てきたんだけど、上野駅と東京駅がうまく結び付かなくて、上野の辺りでうろうろしていたとき、畳屋の親方に声をかけられ、腹が減ってたんでついていっちまい、畳職人になっちゃったんだ。
冷たい海の漁よりずっと良くてお給金も結構もらって、親方の女将に「所帯をもたなきやならないんだから無駄使いしちやいけないよ」と言われながら結構毎日洒を飲んでたんだけど、よく言っていた店なのか、だからよく行ったのか、そこに津軽から働きに来ていた色白のホッペの赤いお姉ちゃんが居て俺惚れちゃって、でもうまくいって一緒になれたんだ。すぐ娘が生まれてかわいかったね。スクスク育って仕事から帰ると「おかえんなさい」と飛び出して迎えてくれたよ。学校の成績も良くて、それになんたって別嬪だった。
あれは7年前だ、学校が冬休みになって娘がどうしてもディズニーランドに行きたいって言いだして、俺は年末の抜けられない仕事があって女房の車で二人を送り出したんだ。俺も行きたかったよ………本当に。一緒に行けぱ良かったんだ。
そうしたら全くなんてこった、女房の車が錦糸町の交差点にさしかかった時、若いボーヤの車が横から突っ込んできて………俺本当に嫌んなっちゃったよ。
二人の野辺の送りを済ませていろんな後始末をして、一息したらなんだか心の底から寒くなってきて、何もかも皆嫌になっちゃって、有り金持って電車に乗っちまったんだ。
電車の終点が桜木町で駅に降りた時娘に似たお嬢さんに出くわして、レストラン「キムラ」の娘さんだったよ。
暖かいところに行こうと思っていたんだけど、なんとなく立ち去れなくて……、しばらくしたら金が底をついちゃって、その時ゃ怖かったよ、でも野毛の酒と食い物が美味くってエイヤッと思って人生を下りちゃった。
そうなるとハンバーグはあるし刺身、てんぷら、ぎょうざその他結構いい生活だよ。ビールも養老の滝で空き瓶百本も絞れば、もういい気持ちでさ、でもタクワンとアツアツのみそ汁でホカホカのご飯を食いてえな、たまには夢に見るよ。
この辺は夜になると酔っ払いがうろうろして時々、「オジサンこれでパンでも買いな」ってバラ践を投げるのがいるんだ、だからタバコも吸ってるしたまには吉野家の牛どんも食ってるよ。
この前投げられた銭をムスっとして拾ったらキムラのオカーチャンが「お礼ぐらい言ったらどうなの」って言いやがったんで俺は「頼んだ覚えはねえ」と言っちゃったんだ。
酔っ払いは結構ゴミを散らかすよ、でもたまにはお金も落としていくんだ。
札を拾うと一日ウキウキだね、加藤酒屋の自動販売機で夏は冷えたビール、冬は熱燗だ、できたらホットウイスキーも入れてくれねえかな。
初出「ハマ野毛」創刊号(92.3.10)
Photo by Transformer18
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